養念寺は、真宗大谷派の末寺で、冨永姓を名乗る武士、冨永久太郎こと賢誓が慶長二年(1597年)の頃、長年の戦乱に無常を感じて出家し建立したと言われています。
尾張徳川家との縁が深く、開基である冨永久太郎の三人の弟が尾張藩の重臣に仕えるなどし、また元禄年間には、檀家である三浦家の娘が三代藩主綱誠の側室となり、七代藩主 徳川宗春の母(宣揚院)となった事もあり、寺領の寄進などの保護を受けたほか、当時の藩主直筆の書画や、葵の御紋付きの什器などゆかりの品々が今も残っています。
寺宝は、『蓮如上人より空善坊へ御免の御影』。蓮如上人の側近の弟子、空善が播磨に道場を開いた際(現在の姫路市本徳寺)、蓮如上人より授与された御影で、この事は【蓮如上人御一代記聞書】【山科蓮署記】等にも記されています。
賢誓が建立の際にも、この【蓮如上人より空善坊へ御免の御影】を奉じ、養念寺創建の起縁となりました。以来、当寺の宝として長く伝えられ、この御影を拝する参詣者も多く、歴代の住職により守り伝えられてきました。
養念寺の裏庭にある「烏が池」は創建当時からあった古池で、南北に細長い楕円形の約三十坪ほどの大きさのものです。泥土が黒い為、水が黒く見えることから「烏が池」の名前がついたと言われます。黒い池は珍しく風雅を誘ったのか、烏が池庭園は、江戸時代名園として知られ多くの文人墨客が訪れ、池を愛でた詩歌を詠んだと『尾張名所図会』にも記されています。
このように長く歴史を綴ってきた養念寺でしたが、大戦の最中において戦火を免れることは出来ず、本堂などその殆どが焼失してしまいました。戦後、何十年もかけてそれら一つ一つを再建整備していきましたが庭園は荒廃したままでした。しかし、これに心を痛めていた前住職が昭和56年に改修工事を施し、池を中心に石や石灯籠などを配置した事により、今はかつての面影を取り戻しています。
『烏が池庭園』は現在、参拝者及び庭園や歴史研究の為の見学以外は、一般には公開していません。
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皆様のご来場をお待ちしております。
紅葉を観る会養念寺烏が池庭園を一般公開いたします。どなたでも自由にご覧いただけます。 12月3日(日)14時〜16時 入場無料